館山市の多目的観光桟橋(愛称:館山夕日桟橋)は、先端部まで500mあり桟橋形式では「日本一」長い桟橋。2015年には 『恋人の聖地/鏡ヶ浦から富士の見えるまち 館山』に認定されるなど、PRポイントもたくさんあります。
しかし、一般の住民からすると散歩やランニング、写真撮影など以外には利用する機会は少なく、毎年数回の客船の就航、春の高速ジェット船運航もありますが、釣り人以外には、観光客を十分に誘致しているとはいえません。
先端部の喫水が7・5mのため、それ以上の大型船が接岸できず、さらに桟橋の下が空洞のため、小さな船も停まれません。そのため船の往来も少ないのも現状です。
そんな中で、現在先端部の拡幅工事でバスの駐車場が整備されていますが、市民からは「駐車場つくったら船が増えるのか?」と疑問の声も。
桟橋の総事業費は12億円、今回の先端部拡幅工事は10億円で、地元負担は約17%と少なくありません。
ではなぜこうなったのでしょうか?よく巷で話題に上がるものの、どこか判然としないため、調べてみました。
◾️振興ビジョン
行政は計画をつくって事業を行います。住民の税金を預かる立場なので、突発的な無駄遣いを避けるためだともいえます。
では、海岸の活性化はどうか。実は、2002年に「館山港港湾振興ビジョン」という計画が策定され、その後、海岸線や背後のまちづくりも一体的に定めた「館山湾振興ビジョン」が2009年にまとめられました。
<館山港港湾振興ビジョンと館山湾振興ビジョン>
https://www.city.tateyama.chiba.jp/minato/page018821.html
概要版がダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。
◾️一体的に示されたビジョン
この図を見てください。2009年にまとめられたものですが、多目的観光桟橋や渚の駅が実現しているのはさることながら、北側には現在進行中の船形バイパス、そして昨年末に取り組みが始まった船形地区の「海業」も船形地区活性化が具体化したものといえます。
「里見郷(仮)」となっているのは先月オープンした「道の駅グリーンファーム館山」か。いや、この当時はのちに2012年に国指定史跡に指定された稲村城跡の利活用が念頭にあったのかもしれません。
いずれにせよ、2002年に桟橋建設で始まった計画は、2009年一体的な内容へと拡大され、担当職員は異動しても、バトンをつないで進められてきたことがわかります。ただ、以下の資料によると計画期間は終了しています。
◾️当初案と変わった多目的観光桟橋
中でも最大の事業は、2010年に完成した多目的観光桟橋でした。しかし、冒頭に述べた通り、インパクトのある建造物ではありますが、地域活性化への寄与は限定的といえます。
調べてみると、実はこの桟橋、当初の計画はより壮大な姿だったようです。橋の道も2車線で、海に向かって左側には小型クルーザーが停められる浮き桟橋も描かれていました。他にも多くの機能があったと推察されます。
ではなぜ、当初案から変わってしまったのか。当時の資料が手元にあるわけではないので明確には分かりませんが、議会の会議録を追っていくと見えてきます。
◾️事業規模の縮小と推進のいきさつ
2002年に館山港港湾振興ビジョンがまとまった当初の総事業費は60〜65億円だったようです。それが、徐々に年を経るにつれ、財政難の事情から県が示す規模が縮小されていきました。
2004、5年ごろには半額と概算が示され、最終的には5分の1にまで縮小されてしまいました。この数字が初めて表に出るのが2006年9月議会です。
縮小されては効果も下がりますし、地元負担もある大事業。議員からの反対意見も活発になっていきます。そして迎えた同年11月の市長選で、反対の立場で桟橋の再検証を公約に掲げた前市長が初当選を果たしたわけです。
背後に桟橋の反対運動が活発化していたのかは分かりませんが、市長選の争点の一つであったことは確かでしょう。また、背景には2007年に世を震撼させた夕張市の財政破綻があったと推察します。市の財政状況もよくなかったようです。
新市長は、市長当選後に、桟橋の再検証は行わず、推進する立場を表明して、またも論争となっています。2006年就任後の会議録を読むと、「私も議員だったときにはしっかりした情報をつかんでいなかった」と答弁を行っています。
ことの顛末としては、フルスペックの桟橋は60億円だったが、県や市の財政難を鑑みて事業費が12億円まで縮小され、それでも続けるのかを争点に市長選もあったが、結局止められなかった、ということだと思います。
興味深いのは、就任後の新市長の答弁は、「現在の桟橋計画はクルーズ客船や超高速ジェット船という既に顕在化している需要に対するものであることが判明いたしました。しかしながら、これら客船などの誘致だけでは経済活性化を図るには十分ではございません」と明確に予想していることです。
そして2009年に館山湾振興ビジョンが策定され、議題は「渚の駅たてやま」の建設に移っていきます。
2012年にオープンした渚の駅たてやまの商業施設は民間事業者の努力で、成果を上げていますが、2024年になっても、桟橋による活性化が実現できていない状況は続いています。この歴史を振り返るのは無駄ではないと思います。
また、当初のフルスペック桟橋を追加工事で目指すと100億円はかかってしまうそうです。やはりやるなら一発でやるべきだった。当初案を再開するのは現実的ではありません。
そのような中で、現在進行中の桟橋の先端部の拡張は、大型客船の客を着岸時に迎えるバスが危険を伴わないよう、2車線だった当初案を補填するアイデアとして進められたと考えられます。
◾️官民協働で新ビジョンに向かうべし
スペック的には使いづらいとされる桟橋ですが、仮に当初通りの桟橋ができていたとしても、確実に活性化していたかどうかは分かりません。そもそもインフラが整ったとしても、船乗りが訪れるに足る魅力的なコンテンツを創造せねばなりません。
館山市が稼ぐポイントは、明らかに「海」だと思います。そのためには、この桟橋に課せられた役割は大きい。
そのためにはどうしたらよいのか?
やはり2009年以来不変の計画というのは時代とのずれが生じてくるはずです。実際、当時より船が大型化しているという変化も起こっているようです。そして、まちの稼ぐ部門は、行政主導ではなく、民間とともに練り直すべきです。
行政は公益性を重んじねばならないため、そもそも役割上、稼ぐことに不得手です。ただし、行政が管理する土地、港湾のため、勝手に民間が手を出すことはできません。
民主的なプロセスを経ることが前提となりますが、民間活力を十分に発揮できるよう最大限民間と行政側が知恵を寄せ合って計画を策定していく必要があると思います。
これから2年間、2026年度から始まる新総合計画の策定が始まります。また、現在のビジョンにある船形バイパスや海業がいよいよ始まろうとしています。たくさんの方々の努力が収穫の時期を迎えるチャンスです!
今後も市民サービスを維持していくためには稼げるまちに変わっていかねばなりません。雇用創出、UIJターン、税収増加、すべてがつながっています。