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便利と不便

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本日は芝浦工業大学大学院で建築学を専攻する学生さんによる、館山市内の公共交通をテーマにとした研究の一環で、安房高校2年の生徒9人に対してヒアリング調査が行われました。研究に協力している市職員と共に私も見学させていただきました。(写真は許可済み)

免許返納者も増加の一途を辿る昨今、車社会に偏りすぎた地方では、高齢者の足を今後どう確保していくかは大きな課題で市もさまざまな事業を行っているわけですが、同時に交通弱者としては未成年も同じことです。親も送り迎えで大変な労力を割いています🚗

7月は郊外の富崎地区、8月には、市街地の公共交通に関して数人の知見のある方々にヒアリングも行い、今回は高校生の生の声を聞く機会。院生とはいえ、足しげく館山に通う姿勢に本気度を感じています。

きょうのヒアリングも興味深い話が多くありました!特にお伝えしたい点は一つ。

どの高校生も、通学や休日の部活動、買い物などで移動に時間や調整がかかっていますが、「不便とあまり感じていない」ことへの驚きです。富崎地区や西岬地区から通う子もいましたが、もちろん親の送り迎えに頼っていることも多い。しかし、自転車で1時間ぐらいの距離なら苦もなく移動している声もありました。

また、買い物も、ヤフオクなどネットで購入する手段がたくさんあるので特に問題ない話や、遊びも部活が忙しいのと、あってもオンラインゲームで共有できるという話も。安房高は9割以上部活動加入率というのも背景にあるのかもしれません。

結果的に私が感じたのは、「不便は快適さの差から生じる」ということ。今高校生ですと、12年前に私が移住してきたころと、ほとんど同じ環境を見ています。そもそものベースなので、「不便」とか「衰退」とさほど受け止めていないのですね。もちろん親の送り迎えを「誰かの負担」と捉えていない面もあるかと思います。

一方、今まであったものが失われた人々は「不便」と感じてしかり。これは目に見えていること以上に本質的な感覚の違いだと思いました。

発展すると、小中高、世の中が便利になることが当たり前だった世代が、都内でさらなる「便利」を実感して、これまで「不便」なところにいたかを実感するかもしれません。否、きょうの彼らも卒業後、そうなる可能性はあるでしょう。

一方、私のような比較的都会育ちで、都内の大学に通っていた身からすると、もともとそういう意味では「不便」とわかっているので、大して不便とは感じないのです。

むしろ、都会の「満員電車の地獄」や「災害や金融恐慌が起きたときにどうするの」という謎がぬぐえなかったことも踏まえると、今は落ち着いて生きているという実感があります。

いや、さまざまな観点があって、「これほど不便だったとは思わなかった」と、移住してすぐ他の地域に移転する人もいます。もちろん自由なんですが、事前に調査不足ではありませんか?と思うことも多々あり。そもそも、地方に単なる「便利」を求めるのはナンセンスで、そうした方は続かないケースが多いと感じます。

もちろん公共サービスを担う行政としては、「ナンセンス」なんて言えませんから、少ない財源でなんとか試行錯誤しているのが現状なのかと思います。自動運転はじめ交通がいわゆる「MaaS」(マース)になる日もいずれあるのかもしれませんが、そもそも、技術はあっても導入できるかは別の話なので、学び続けることが前提です。

・・・と、脱線しましたが、「便利」と「不便」の話を書いていて思い出したのが、父から昔聞いた言葉。

「便利は不便、不便は便利」

この歳になって、なかなか含蓄のある言葉だなぁと思い返しました。もちろん不便を受け止めよう、という話ではありません。

本日は研究する学生以外にも4人の芝浦工大大学院生がきてくださり、就学や就職についてフリーな相談時間が設けられました。学校側の協力も感謝で、生徒らの充実した感想も聞け、修士研究の内容もますます楽しみに。Mさん、頑張れ〜📣